くろちゃん日記

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高専入学試験・カメラ・大学編入試験

ボランティアの状況改善を日本全国に問いかけたい

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私は怒っている。ボランティアの労働力を搾取するベンチャー業を、善意を煽る公的機関を。

 

最初に言っておきたいのは、私はボランティア活動が好きだということだ。中学では夏休みに市の施設でボランティアを行い、高専では地域の障害者施設を週一で訪問するボランティア部に所属していた。駅やショッピングモールでの募金活動も、まちづくりに関するイベントスタッフも、国際交流の団体運営もボランティアで参加した。今の自分はこれらのボランティアの参加経験で形作られたと言っても過言ではない。

  

目次

 

ボランティアの定義

 

ここで、ボランティアという言葉を定義しよう。毎年思い出す、中学校の担任の言葉である。なぜだろうか、彼はこれを何度も伝えてきて、なぜだろうか、私はこれを鮮明に覚えている。彼は口酸っぱく次のようなことを言っていた。

 

「ボランティアとは、自分の意思によって行う、無償の奉仕活動である。」

 

面白いことに、彼が言わんとすることは「強制されて参加したり、報酬をもらったりする活動はボランティアじゃないぞ!」ということであり、「ボランティアはいいぞ!」ではないのだ。この疑問には色々な仮説が立てられるが、本記事の論点ではないので、この定義が私の軸となっていることだけお伝えして次に進みたいと思う。

 

ボランティアから得られたもの

 

前述の通り、私は様々なボランティア活動に参加してきた。それぞれ学校から紹介されたもの、部活から紹介されたもの、親から紹介されたものと様々な背景がある。最初は半強制的に参加していたかもしれないが、途中には選択の分岐点があったことは間違いない。それでも続きていたのは、確かなメリットを感じていたからである。

 

普通なら会えないような人と出会い、人脈は広がり、学校では経験出来ないことを経験させてもらえた。スキルも人脈も資金もない学生が、違うレベルの大人から直接学べるのは、お金の絡まないフェアなボランティアの世界だからだ。

 

ここで信用を得ることで、今度は報酬の出る仕事を依頼されたり、美味しいご飯を頂いたりしたこともある。それを全く期待していなかったとはいえないが、無垢な奉仕の精神がベネフィットに通じた時は、それだけ自分の働きが認められたと受け止められ、純粋に嬉しかった。

 

ボランティアと仕事の違い

 

私は数々のアルバイトも経験してきた。ボランティアで行っていたことと変わらない作業内容なのに日給8千円ほどもらえ、はまった時期もあった。しかし、次第に両者の違いに気がついた。

 

まず、当たり前の仕事をしても褒められない。ボランティア時代には毎回のイベント後にありがとうと言われていたのに。次に、出会う人がパッとしない。学生アルバイトを募集しているような場所の同僚、上司だから仕方のないことかもしれないが、大企業の社長や市長と対談することもできたボランティアとは、明らかに刺激が違った。

 

ボランティアと仕事の最大の違いは、ずばり責任の有無だと思う。ボランティアに責任が全くないとは言わないが、ボランティアに責任を求めるのは間違っている。これは雇用の段階で明らかである。社員を雇用するときには契約書を交わし、お互いの合意の上で署名する。これは責任を追及される場面になった時の証明であり、契約がなければ責任の追及は筋が通っていない。

 

ボランティアで活動するときには、契約書にサインすることもないどころか、ボランティア保険に加入するなど、保護される側である。報酬という対価がないのだから、この差が生じるのも当然ではないだろうか。

 

現代日本の問題点

 

若い労働力を搾取する"ベンチャー企業"

 

2年前、あるイベントに参加した。それは最近インターネット上でよく名前を聞く、あるベンチャー企業が主催しているもので、普通に面白そうだったことと、知人が登壇するということで応援のために参加した。

 

入場料数千円を支払い結構高いなと思ったものの、内容は豪華そのものだった。抽選で数万円相当の商品が数名に当たるわ、参加者全員にプレゼントはあるわ、食事も出していただいた。これは入場チケットで支払った金額の価値はあると思った。しかし、あることに気がついた。スタッフが全員自分と同じくらいの年齢なのだ。気になって話しかけてみると、「このイベントは全て学生で運営しています」という驚くべき回答が返ってきたのだ。

 

このイベントのために毎週ミーティングを行い、中には東京や大阪から愛知に通っている子もいるらしい。学校に行かなくなったり休学したりする子もあとをたたないが、「いろんなことを経験させてもらえているので楽しいし、やりがいがあります」と笑顔で答えてくれた。

 

これを聞いて、とても複雑な気持ちになってしまった。この子は悪くないし、双方にメリットのあるボランティアの真髄を付いているとも思った。しかし、仕事内容的には報酬を出すべきだし、忙しすぎて本業の学業がおろそかになり迷惑を被っている子も中に入るだろう。

 

だからこの"ベンチャー企業"には悪意があると主張する。学生を無料の労働力としてあてにしてイベントを回しているわけだから、ここに責任の追及が全く入ってこないことは考えにくい。もしボランティアがいなかったら、どうやって経営するつもりなのだろうか。無償の労働力をあてにして創業し、若い労働力の貴重な時間を使わせてそれで所得を得て飯を食っていると考えると非常に虫が悪い。これがまだ金儲けを目的としないNPOや学生団体の活動なら別の話である。"ベンチャー企業"と銘打って金儲けしているから気にくわないのだ。


この話は、この企業に限ったことではなく現代社会で頻発していると思う。特に学生ライターやアマチュアイラストレーターを無償で募集しているところは気をつけたほうがいい。

 

市民の善意を煽る公的機関

 

tokyo2020.org

 

オリンピックが日本で開催されるのは56年ぶり。このような場でボランティア活動をすれば一生に一度の経験になるだろう。オリンピック選手に出会えたり、全国各地から集まってくる仲間と働くことで生まれるものは貴重に違いない。そのためには、時間を犠牲にしても仕方ないと考えボランティアをする人がいてもおかしくないと思う。

 

しかし、間違っているのはこれを東京都や国が全面的にアピールをすることだ。ムービーや広告を予算を使って作り、「オリンピックのボランティアになってください。一生に一度の経験ができます。」と挨拶して回ることは違っている。なぜなら、これを言っている職員は業務の一環としてオリンピックに携われるわけで、給与をもらいながら"一生に一度の経験"をしている。さらに、本来なら労働の対価として支払うべき金銭を報道に割いている。

 

社会的にいいことだからもちろん参加するよね?という問いを潜在意識に叩き込み、ボランティアの押し付けをしてくる。そんな募集をしなくても本当にボランティアをしたい人は集まってくるはずなのに。これでは私の先生が言っていた「自分の意思で行う…」に当てはまらないではないだろうか。こういった善意を煽る言動は、特に立場が上の人が使うのはフェアではない

 

上手なボランティアの取り組み方

 

優先順位を決めること

 

ボランティアにあなたの生活を支配されてはいけない。強制され、責任を追及されることはないのだから。学生なら学業の妨げになるような案件はお断りして良い。仕事や私用があればそちらを優先すること。あくまで、時間に余裕があり他人の手助けをしたいという場合にのみボランティア活動をすること。


スキルを利用しないこと

 

あなたが何らかの分野で初心者であれば、スキルの習得のためにボランティアで参加することがあるかもしれない。それは構わない。しかし、スキルを既に持ちながらもボランティアでそのスキルを披露してしまうと2つ悪いことがある。1つ目は、「そんなことできるんだ。じゃあ次もやってよ。」と仕事を斡旋され、いいようにスキルを使い回されてしまうからだ。これではスキルの向上も金銭的利益も何も残らない。2つ目は、仕事としてやっている人の市場を奪いかねない。あなたが無料でそのスキルを提供することで、そのスキル自体の市場価値が下がっていることに気づいて欲しい。

 

海外ではプロボノと言って専門家がボランティアで専門知識を使った奉仕活動をすることもあるので難しい問題ではある。これは依頼主がどんな人物かを見極めるべきだと思う。労働力を搾取しようとしているだけなのか、本当にあなたの価値を必要としているのかを見極めて活動することが大切である。

 

対価を求めること

 

この点は、私は先生に真っ向から対抗したい。 

 

ボランティアとはいえど、働きに対してそれが報酬という形で還元されると人間は嬉しいものである。そうやって何かを提供された時、先生には絶対に受け取ってはいけないと教えられたが(なぜならその瞬間ボランティアではなくなってしまうから)、それがボランティアであるかないかよりも大切な人間同士の認め合う関係があるのではないかと思う。報酬を差し出された場合、ありがたく受け取ることがこちらの誠意の示し方であり、対等な人間関係を維持することに繋がるのではないだろうか。

 

そして、報酬は求めなくてもそのボランティアから何か対価を得ようとする姿勢は大事である。Win-Winの関係が続かないとボランティアは長期間持続しない。それが人間関係でも経験でも知識でも良い。何を学びにボランティアをしているということを常に意識し、採用者に伝えるべきだと思う。何のために働いているのかわからないボランティアは突然何をするのかわからず、採用者にとっても怖いはずだ。

 

ボランティアの再定義

 

以上のことから、私なりにボランティアを再定義した。

 

「ボランティアとは、強制され、責任を追及されることなく行う、報酬獲得以外を目的とする奉仕活動である。」

 

まとめ

 

この記事を書こうと思ったきっかけにとあるクラウドファンディングの支援の話がある。私が好意で「何かあったらお手伝いしますよ」とお伝えしたところボランティアの話を持ちかけられた。まだ資金がないので報酬は出せないが、代わりに私の学びたいスキルが活かせ、業界のトップの人と知り合え、貴重な経験ができると説明された。ただし、開始まで時間がなくて仕事がいっぱいなのでできるだけ手伝って欲しいと。

 

これは魅力的な話なのだろうか?会話を振り返っているうちに、前述のベンチャー企業と同じなのではないかと思えてきた。社会的に意義のあることを達成するために一緒に頑張ろうという善意の行動を煽ってくる。そしてやりたいことは、本質的には無償の労働力の搾取ではないか。問題は責任の追及があるという点で、時間的制約に間に合わせなければならないという無言の脅しがある。このようなボランティアはこりごりだ。

 

ただ一点、問いかけたいことは、ボランティアを募集するなら誠実に対応して欲しいということだ。少額でも、交通費程度でいいからお金を出すこと。お金は誠意の表れである。それでも何らかの要因で出せなければご飯をおごるとか、パーティーに紹介するとかして欲しい。ボランティアのことを考えて、学生であれば学業に支障が出ないように扱うとか、遅くまで勤務させないとか、労働時間8時間を守るとか徹底して欲しい。

 

傲慢なボランティアで申し訳ないが、ボランティアの立場がこれ以上に下に見られるのは嫌なので、ボランティアの状況改善を日本全国に問いかけたい。